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世界文化遺産・蘇州古典園林

自然の美しさを再現した箱庭空間

    満々と水をたたえた池、したたるように茂る緑、複雑な様相を示す石の山、蘇州の庭園は江南の自然を小さな空間に再現したもの、そこに住む人が居ながらにして自然の風景を独占するという贅沢な空間です。
    その始まりは春秋時代といわれます。この時代の国、「呉」が蘇州を都としてから庭園文化は広がりました。その後、「呉」が滅びてからも庭園は作られ続け、もっとも多いときには蘇州には200ほどの庭園がひしめいていたそうです。現在残っているのは60カ所、その内対外的に開放されているのは19の庭園のみです。
    蘇州にこのような贅沢な庭園ができたのには、歴史的な要因と材料的な要因の2つの好条件がありました。蘇州は春秋時代に都が置かれたときから、この世の天国(人間天堂)と称されるほどに、江南の主要都市として繁栄し、庭園を造る資金を持つお金持ちが多く居住していました。そして、ここは水郷であり、庭園の素材となる水に困ることなく、また、庭園造りに必須の石もこの辺りで産出されていたからでした。これらの好条件を備え、蘇州には庭園文化が花開いていきました。
    歩を進めるごとに表情を変える箱庭、たくさんの文人が愛したその柔らかな光景は芸術品と称するのがふさわしいでしょう。

蘇州古典園林 蘇州古典園林 蘇州古典園林

世界遺産登録:1997(2000年範囲拡大)

蘇州古典園林
 

蘇州古典園林へのアクセス

  •     上海から西に約80キロ、車では約1時間、電車では30分ほどという近さに蘇州はあります。蘇州古典園林は蘇州市内に点在していますが、退思園だけは少し郊外の水郷、街同里にあります。
        蘇州市内には蘇州古典園林の他にも寒山拾得で有名な寒山寺などの観光地があり、また周辺には古色蒼然とした水郷の街、周庄、同里などがいくつもあり、それぞれ趣の違った庭園を楽しむことができます。
 
 

世界遺産に選ばれた理由

  •     蘇州古典園林は中国文化を色濃く残す中国庭園の代表として、1997年に拙政園、留園、網獅園、環秀山荘が、2000年に滄浪亭、獅子林、芸圃、耦園、退思園が世界遺産として登録されました。
蘇州古典園林
 

蘇州古典園林の素材

蘇州古典園林
  • 假山
  •     日本でも庭園を造るときに築山を築きますが、中国でも山を模した「假山」を作ります。假山のうち土で造られたものを築山、土と石を組み合わせて造られたものが掇山、石を使って造るものを凿山、石灰の泥などで形を作り上げて行く塑山があります。
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蘇州古典園林
  • 太湖石
  •     中国の庭園には山を造ったり、置物にしたりするのに、穴が沢山空いた奇妙な石が用いられます。この石は太湖石や黄石などと呼ばれる石なのですが、とくに太湖石は有名です。
        太湖石は太湖という蘇州の西側にある湖でとられますが、特に蘇州付近のものが良いとされます。この石は石灰を主成分としているので風化しやすい特徴があり、湖の波や二酸化炭素を含んだ水による浸食で穴がたくさんあいた、不思議な形に形成されます。蘇州の近くは特に波が荒いのでいいものができるとされていました。石の色は石灰なので白や黒が多いのですが、黄色いものもあり、希少価値があるとされています。
        中国四大小説のひとつ、『水滸伝』にもこの石に関わるエピソードが登場します。メインキャラクターのひとりである楊志は、庭園用の石を当時の都であった開封に運ぶ途中、嵐で船が沈没、任務に失敗したため官職を捨てて逃げ、その後梁山泊に入ることとなりました。
        宋代には皇帝が各地から庭園用の石を集めさせましたが、こうした石はだいたい江南で調達されました。楊志のエピソードはその歴史にからめて描かれているのです。
 

主な蘇州古典園林の紹介

滄浪亭
  • 滄浪亭
  •      現存する最も古い庭園で、はじめは五代十国時代に呉越王の子供の館として造られました。宋代になると詩人が廃園となっていたこの庭園を購入、修築しました。後に南宋の名将である韓世忠の家になった時期もあります。1873年にもまた修築されており、宋代の雰囲気は一部にしか残っていませんが、それでも古い大木がうっそうと繁る様は時代を感じさせてくれます。
         ここの特徴は「竹」。特に宋代からは好んで竹が植えられており、今では20種類余りの品種の竹が植えられています。
         春秋から清代まで、2500年の蘇州の歴史に関連する人物のレリーフもポイントで、祠の中に594名の人物のレリーフが飾られています。
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拙政園
  • 拙政園
  •      もっとも面積が大きい庭園です。唐代の詩人が造った庭園で、元代にはお寺となっていました。その後明代に官僚が購入し、16年かけて修築、しかし、完成直後にその官僚は亡くなってしまい、子供が庭園を受け継ぎました。しかしその子はある日、賭けに負けてその庭園を丸ごと人に譲ってしまったそうです。
         庭園は東、中、西の3つの部分に分かれており、中央がメインです。庭園の1/3は蓮池で、建物は水に面して建てられており、それぞれの建物の名前は蓮に由来した名前となっているのがなんとも風流です。
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  • 網獅園
  •      小さめの庭園の代表作です。庭園は3つの部分に分かれており、メインの部分は黄石、その他の庭は太湖石を使用しています。1980年
    にはアメリカのメトロポリタンミュージアムにこの庭園の建物のレプリカが造られ、網獅園は海外に名を馳せました。
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獅子園
  • 獅子園
  •      元代を代表する庭園です。ある高僧が蘇州にやって来たときに弟子たちが、彼のために築いたのがこの庭園です。複雑に組み合わされた假山がここのポイントで、仏の法力が無限であることを表わしているそうです。
         清朝の康煕帝はここに来て扁額を残し、後に乾隆帝も6度もここに足を運び、やはり扁額を残しました。
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蘇州古典園林の素材

古運河遊覧
  •     蘇州歴史は長く、古くから、蚕糸、お茶、魚など多く産し、「魚米の郷」としても知られています。(それで、蘇州の「蘇」字が、草かんむりに魚・禾からなっています)現在の蘇州は長い歴史と新しい発展が混ざり合っています。
  •     紀元前514年、春秋時代に呉王が周囲23.5キロの城壁を作ったのが蘇州の歴史の始まりで、明清時代は中国経済の中心として繁栄しました1986年には盛大な築城2500年祭が行われました。古くは「姑蘇」と呼ばれていましたが、隋の開皇9年、西暦589年に蘇州という名称に変わりました。
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太湖畔
  •     蘇州は長江(揚子江)デルタ地帯の中心部に位置して、市街は外城河という運河に囲まれて「東洋のベニス」とも呼ばれました。北側には長江に望み、西側には太湖があります。湖沼が多く分布し、典型的な水郷都市です。
  •     市の西南にある太湖から流れてくる水は蘇州を経て長江に注ぎます。川や水路が市内を網の目のように走り、人々はこれを利用して、船が足代わりという生活をしてきました。水上交通にとくに恵まれてもっとも早く開発され海外渡航の根拠地となり、国内外貿易も行なわれた。
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蘇州古城の足跡
  •     南宋になりますと、刺繍と錦織が発達して、この豊かさが高い文化と芸術をもたらし、数々の名園を生み出しました。呉歌、評弾(弾き語り)、蘇劇などではその特徴が取り入れられ、独特のやわらかな節回しに今も人気が高いのです。風光明媚で、物資が豊かなこの地には多くの文人が集まり、洗練された文化が育まれました。
  •     五代の呉越国の独立は蘇州の経済力を基礎にして可能となったといわれる。南宋(なんそう)から元にかけては南宋の首都杭州とともに「上有天堂、下有蘇杭(天に極楽有り、その下には蘇州と杭州がある)」と称され、都市文化が発達し地上の極楽に比せられた。中国人の憧れの地でありました。
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昆曲博物館
  •     蘇州の見所、大きく分けては旧市街に集中している「庭園」、「寺院と塔」、「運河と橋」三つです。
  •     現在、世界文化遺産に登録されている庭園は、拙政園、留園、網獅園等9箇所あります。拙政園と留園は(北京の頤和園、承徳の避暑山荘と共に)中国の四大名園に数えられています。
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評弾博物館
  •     蘇州の庭園はほとんど私家庭園であり、巧みに規模が小さいが、造園に携わった設計者や工匠らは限られた空間をいかに大きく見せるかに工夫を払いつつ、彼らが理想とする、自然美を住居に融和させた総合芸術の世界として庭園の築造に当たった。
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上海から蘇州へ行くオプショナルツアー

 

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蘇州古典園林の基本情報

 
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