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世界文化景観遺産・廬山国立公園

飛流直下三千尺、文人たちに愛された名山

    「飛流直下三千尺、疑うらくはこれ 銀河の九天より落つるかと」李白の詩「望廬山瀑布」です。あまりにも凄まじい滝を「まるで空から落ちて来るかのようだ」と表現した、李白らしい豪快な七言絶句です。この李白を始め、司馬遷、陶淵明、白居易、蘇軾など国語の教科書でもおなじみの大詩人たちが廬山にのぼり、廬山に関する作品を残しています。その数は4000首以上と言われています。あるいはマンガで廬山の名を聞いたことがあるかもしれません。中国でも人気のマンガ「聖闘士星矢」にはこの廬山の五老峰で修行したという人物が登場します。

    廬山は夏涼しく、冬もそれほど寒くはないという気候に恵まれた山で、中国の四大避暑地のひとつとされています。人気なのは夏、うっそうと茂る緑とさわやかな水音の響く廬山に訪れてみませんか?

廬山国立公園廬山国立公園廬山国立公園

世界遺産登録:1996年

廬山国立公園
 

廬山国立公園へのアクセス


     江西省の北部、九江市内、九江廬山空港からは40キロほど、九江火車駅からは35キロほどと、移動しやすい距離にあります。また有名な陶磁器の街、景徳鎮市までは120キロほどと、それほど遠くはありません。

 
 

世界遺産に選ばれた理由

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  •      1996年、中国文明における重要地点のひとつとして世界遺産に登録されました。
  •      自然と仏教や道教の施設がおりなす美しい風景は、文化的なだけでなく、美的価値も有しています。

廬山国立公園の歴史及びエピソード

  • 廬山瀑布の黄龍と白龍
  •      黄龍潭には黄龍がすんでいました。時々かんしゃくを起こしては、田んぼに被害などを与えます。後に高僧がやって来て黄龍を説伏し、良い龍となりました。しかし彼の後代
  • がまた悪いミズチたちとなったため、また高僧がここに黄龍寺を建て、彼らが嫌う鐘の音を出してミズチたちを追い払ったそうです。
  •      烏龍潭には逆に百姓たちのために雨を降らせたりする良い白龍が住んでいました。そこで村人たちは白龍に感謝して、烏龍潭に龍のための食事を投げ込み、彼を祀ったそ
  • うです。
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  • 「廬山」の由来
  •      廬山という名前は「廬」から来ています。廬とは豪華ではない、簡単な建物のことを指します。
  •      周のはじめに(違う時代という話もあります)匡俗という人がいました。この人は廬山で仙人修行をしていました。優れた人物であったため、周の皇帝が何度も山を出て、国を
  • 治める仕事を手伝ってほしいと伝えたのですが、彼はその度に山の奥に入っていってしまい、いつしかどこにいるのかわからなくなってしまいました。仙人になったのだろうと、
  • 当時の人は思ったそうです。その匡俗が廬をつくって住んでいたので、廬山と呼ばれたそうです。またその人の名をとって匡山とか匡廬などとも呼ばれていたそうです。
  •      他にもいろいろな話が伝わっていますが、どれも仙人修行をしていた人の廬がここにあったから、というものばかりです。
  •      宋の時代、国を開いた人の名が趙匡胤だったので、匡の字を使うことを慎み、匡山などという呼び名は廃れていったようです。
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廬山国立公園の見どころ

  • 廬山瀑布
  •      廬山瀑布はひとつの滝をさすものではありません。開先瀑布、黄龍潭瀑布、烏龍潭瀑布など、いくつもの滝の総称です。廬山瀑布は中国の美しい滝ベスト10の中にも数えら
  • れています。廬山は降水量も多く、水資源が豊富です。ですからこんなにも多くの滝があるのでしょう。
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  • 廬山別荘群
  •      廬山の緑の中に埋もれるようにぽつんぽつんと建つ洋館、廬山別荘群は群といってもそれほど密集したものであはりません。近代の中華民国の時代、蒋介石を始めとする多
  • くの高官たちがここに別荘をもち、廬山は国民党政府の「夏都」となっていました。
  •      いくつもある建物の中で際立っているのはやはり、蒋介石の別荘であった「美廬」です。この別荘は1903年にイギリス人が建設し、後に蒋介石の妻である宋美齢に渡ったもの
  • です。建物はもちろん、特筆すべきはその庭園で初代の所有者がイギリス人であったためか、人工的な装飾を廃し、自然を活かした造りとなっています。中には廬山でもっとも古
  • いという、高さ30mほどの金銭松もあるそうです。
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  • 廬山会議址
  •      廬山は中華人民共和国になった後も、幹部たちの避暑地となっていました。ここで行われた1959年の歴史的な会議「廬山会議」の址があります。廬山会議が行われた建物は
  • 1937年に国民党が築いた廬山大礼堂という建築物、劇場としても使われていたという、西洋風の大きなものです。
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  • 白鹿洞
  •      白鹿洞は北宋の時代の6大書院のひとつです。書院とは学校のことで、私立のものや公立のものがありました。白鹿洞は北宋の時代にできて間もなく廃れていましたが、朱子
  • 学の創始者である南宋の朱熹がこの書院を再建して後、名は全国に広まりました。その後も白鹿洞書院は、清末に学制が改めるまでずっと続いたそうです。
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廬山の基本情報

 
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