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世界文化遺産・明・清朝の皇宮群

王朝の力を今に伝える豪奢な建築群

    故宮と瀋陽故宮は現存する、滅びた王朝の皇宮です。故宮は明、瀋陽故宮は清の前身である後金という王朝が造りあげました。
    北京の中心、故宮には24代の皇帝が暮らしました。明の永楽帝により建設が始まり、1420年に完成しました。明の始まりの地である南京にあった皇宮に似せて造られたそうです。面積は72万平方メートル、この広大な空間を創造するために23万人の技術者と100万人の労働者が投入されました。その後、約500年にわたり、歴史がこの中で展開されていたのです。
    瀋陽故宮は清の太祖ヌルハチが作ったもので、後金と清の初期に使用されました。故宮よりも民族的な色合いが強い建築が特徴です。面積は6万平方メートル、北京の故宮と比べると規模は小さいですが、どことなくひなびた趣を感じる建築群です。
    当時の繁栄を今に伝えるふたつの皇宮は、王朝がもつ権力、財力のすさまじさを伝えています。

明・清朝の皇宮群明・清朝の皇宮群明・清朝の皇宮群
明・清朝の皇宮群 
 

明・清朝の皇宮群へのアクセス


     故宮は北京の中心にあります。1号線天安門東駅、天安門西駅から行けばすぐそばです。瀋陽故宮は北京から東に約630キロ、遼寧省の都市、瀋陽の中心部にあります。瀋陽までは北京から電車で5時間、飛行機で1時間ほどです。

 
 

世界遺産に選ばれた理由

明・清朝の皇宮群
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  •     故宮は1987年、現存する世界最大の皇宮として世界遺産に登録されました。
    その後、現存する完全に保存された王宮の遺跡として2004年、故宮の項目を広げる形で瀋陽故宮が世界遺産に加わりました。
 

明・清朝の皇宮群の歴史及びエピソード

  • 《 故宮 》
  • 「故宮」という名称
  •     故宮とは「昔の宮殿」という意味なので、昔は故宮とは呼ばれておらず、皇宮、紫禁城と称されていました。英語では故宮博物院を意味する「the palace museum」
  • で世界遺産に登録されましたが、「the forbidden city」という名も広く使われています。これは紫禁城の意味です。
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  • ラストエンペラーの処遇
  •     清朝のラストエンペラーである溥儀は中華民国が成立した1912年、帝位を追われました。しかし住居は故宮のままでした。現在、西宮の麗景軒にカラフルなシャンデ
  • リアが下がり、洋風の家具が置かれた当時の様子が再現されています。しかし1924年、北京政変が起こると故宮を追われ、初めは北京の皇族の家に住み、後にさらに
  • 日本公使館に逃げ、天津に移りました。
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  • 皇宮の規則
  •     儒家の経典のひとつである『周礼』に「前朝後寝、左祖右社」とあります。「前が朝廷で後ろが寝殿、左が祖先の廟、右が社稷」という意味で、故宮はこれにそっ
  • て作られています。天子は南面す、と言われますから、前と言えば天子が向いている方向である南です。故宮の南側には太和殿などの公の施設が並び、その北側に
  • は後宮が広がっています。左、つまり東側には現在労働人民文化宮がありますが、これはもとの太廟、皇帝の祖先を祀った廟のあとです。右にあたる西側には中山公
  • 園がありますが、ここには五色の土を盛った社稷をいまでも見ることができます。
  •     建物に使われている瑠璃瓦は主要な建物は黄色、皇子の住む場所は緑と決まっています。屋根の四隅に小さな獣の形をした置物が立っているのを目にすると思いま
  • すが、その数にも規則があります。一番多いものは10個、太和殿などの重要な建物にこの数が適用されています。数が減るにつれて、重要性は落ちていきます。
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  • 故宮の文物の移動
  •     清朝が倒れたのち、故宮には宮廷の文物や資料がたくさん残されていました。満州事変の後、それが損なわれることをおそれた当時の政府は、これらの文物を南に
  • 移動することにしました。その数13427箱、5回に分けて上海送られ、また南京に送られました。その後、戦争の進行に従って重慶に送られたり、また上海に送られた
  • り、台湾に送られたりと何度も移動を繰り返しましたが、これらの文物はいまだにひとつもなくなっておらず、損なわれてもいないそうです。文物の箱は2972箱が台湾に
  • 送られ、2176箱はまだ南京に補完されています。
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  • 《瀋陽故宮》
  • 清朝の始まり
  •     瀋陽故宮は清朝の前身である後金の後期に、ヌルハチ、ホンタイジの2人の皇帝が使用したものです。ヌルハチは初代皇帝とされていますが、実際に「大清皇帝」
  • を名乗ったのは、ホンタイジが初めとなります1636年、瀋陽故宮で満州族、モンゴル族、漢族などを集めた会議が行われました。そのときにモンゴル族から元の玉爾
  • (皇帝のはんこ)がホンタイジに贈られました。これ以降、ホンタイジは皇帝となり、「大清」という国号を用いるようになりました。また満州族という名称が使われるよ
  • うになったのもこれ以降です。それまでは女真族と呼ばれていました。
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  • 設置場所の決定
  •     1621年ごろ、瀋陽故宮は遼陽に造られる予定でした。遼陽は瀋陽より60キロほど南に行った場所にある街で、当時は瀋陽よりも大きな街でした。しかしヌルハチが
  • 瀋陽への遷都を決めたため、こちらになりました。この遷都には親王や臣下がたいへん反対したそうです。瀋陽への遷都を決定した理由は、北のモンゴルを攻めるに
  • も、西に明を攻めるにも、南に朝鮮を攻めるにも兵を出しやすい場所であったこと、また瀋陽は人数も少なく管理しやすかったこともあったようです。当時の遼陽は大き
  • な街であったため、多くの人々が住み、満州族と漢族の争いもよく起こっていたのです。
 

明・清朝の皇宮群の見どころ

  • 1.瀋陽故宮
  •     瀋陽故宮は後金の1625年から造られ始めました。面積は約6万平方メートルです。故宮よりも民族的な色彩が強く出ているのが特徴です。例えば建物の配置は満
  • 州族が行軍する時のテントの張り方の配置と同じようになっています。また中心となる部分は高台になっていますが、これは満州人の丘の上に住むという習慣を残した
  •     瀋陽は入関(満州族が長城を超えたことを言う)後、国都ではなく陪都(都に準ずる扱いの街)となり、瀋陽故宮は行宮として使用され、修築もされました。皇帝
  • がやってきたときに家族が住む場所である東所、西所が乾隆帝の時代に修築されたほか、乾隆帝が編纂させた四庫全書を収める建物である文遡閣や先祖を祀る太廟
  • が新たに建てられました。
明・清朝の皇宮群
  •     2.故宮午門
  •       故宮は1987年、現存する世界最大の皇宮として世界遺産に登録されました。その後、現存する完全に保存された王宮の遺跡として
  •     2004年、故宮の項目を広げる形で瀋陽故宮が世界遺産に加わりました。
  •       ここでは皇帝の詔書を下したり、毎年の暦を発布したりという儀式が行われていました。真ん中の正門は皇帝だけが通れる門です。
  •     例外は結婚の時に一度だけ通ることができる皇后、それから科挙の合格者のトップ3も一度だけ通ることができます。東側の門は文
  •     武の大臣が使用し、西側の門は王族が使用しました。
  • 3.故宮華表
  •     天安門の南北に立っている巨大な白い柱が華表です。よくポスターや雑誌などにも使われる、北京のシンボル的存在です。華表のてっぺんには獅子のような生き物
  • が座っています。これは(けものへんに吼)という想像上の生き物です。天安門の南側の華表の上のものは故宮の外側を向いていて、天安門の北側のものは故宮の
  • 内側を見ています。
  •     宮廷の内側を見ているものは「望君出」という名前で皇帝に「いつも宮廷の中で楽しんでばかりいないで、外の人民の苦しさを見に行きなさい」という意味で、外側
  • のものは「望君帰」というもので「いつも外で遊んでばかりいないで、宮廷で仕事をしなさい」という意味があるそうです。華表は皇帝権力の象徴ともいえるものですが
  • 、その起源はよくわかっていません。5つの説があります。
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  • 1.交通の要衝に建てられた、方向を示すものだった。
  • 2.トーテムポール。だから伝説の動物などが描かれている。
  • 3.交通の要や朝堂に建てられた、上訴を書き込むための木の柱。
  • 4.もとは宮廷に直訴しに来た人がならす木鐸だった。
  • 5.天文観測の機械。大きな建物を造る時に包囲を測るために作られるが、大きな建物の場合、工期が長いので頑丈なものが作られた。
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  • 4.故宮の中心となる建築たち
明・清朝の皇宮群
  •       故宮の中で最も大きい建物は太和殿です。高さは約35メートル、東西は約63メートル、南北は約35メートルもあります。この建物は
  •   儀式を行う場所で、皇帝の即位、誕生日、結婚式、元旦の儀式などが行われました。
  •       太和殿の後ろにあるのが中和殿です。ここは儀式を行うときの控え室のような建物で、大典の時にちょっと休憩したり、儀式の練習をし
  •   たり、祖先の廟に行く前に書いた文章を確かめたり、といったことが行われました。
  •       その後ろが保和殿です。ここでは科挙の最終段階、皇帝臨席の殿試が行われました。また、大晦日にはモンゴルなど外藩の王公に
  •   宴を賜った場所でもあります。
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  • 5.故宮乾清宮
  •     乾清宮は後宮の中で一番大きい建物で、皇帝の寝殿です。建物の両側に暖閣という場所があり、27のベッドがありました。皇帝はこのベッドの中から毎日好きなも
  • のを選んで寝ていました。これには刺客を防止するという意味があったそうです。
  •     建物には順治帝の書いた「正大光明」の扁額がかかっています。雍正帝は自分が死んだあと、子どもたちが争わないように、跡継ぎの名前を書いた紙を箱に入れ
  • て、この扁額の後ろに隠しておいたとも言われています。
明・清朝の皇宮群
  •     6.故宮珍妃の井戸
  •       日本では小説にもなっている、珍妃が殺されたとされる井戸です。
  •       珍妃は百日維新に関わった清末の皇帝、光緒帝の妃です。光緒帝には西太后に進められて選んだ皇后もいましたが、彼女との仲
  •     は良くなく、珍妃を寵愛していました。しかし1898年の戊戌政変で光緒帝が幽閉された後は、彼女も皇帝とは別の場所に幽閉されて
  •     しまいました。
  •       やがて1900年になり八カ国軍が北京に入城した時、西太后は光緒帝とともに西安に逃れましたが、珍妃には毒殺命令を出しました。
  •     このことを聞いた珍妃は激怒、西太后のところにまでののしりに来るほどでした。西太后もこれには怒り、井戸に落としてしまいなさい、
  •     という命令を出します。珍妃は欄干に捕まって必至に抵抗しましたが力尽きて井戸に落とされ、井戸の口は丸い石でふさがれました。
  •     1年後、彼女の死体は引き上げられて埋葬されました。位牌は今も井戸の側に祀られています。
 
 

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